競馬から学ぶ、契約書の穴、多数派という名の詐欺
法律にはグレーゾーンがあって、
所詮、法律とは人が決めたものであるということを前提にしておかなければいけない。
よくあるパターンでみなさん勘違いしていることがあります。
例えば、会社など、何かと契約書を結ぶときに、その契約書に書かれている、
”~があっても当社は責任を負いません”というフレーズ。
実際に弁護士が言っていますが、これには全く意味がありません。
なぜならそれは、”社会的証明”という、心理的要素を利用した、
いわゆる会社側の脅しです。
社会的証明とは、大多数がこれはAである。と言われると、Aであると信じ込む人が
多くなるというもの。
少し違いますが、下の記事にも紹介した要素も含まれています。
最近、英雄のディープインパクトが亡くなったというニュースもありますが、
競馬でのオッズ。
オッズとは、賭けられたお金によって決まります。
これにも、社会的証明の要素が含まれます。
たとえば、大人気の馬が1頭いるとして、オッズが低くなっている。
そこで、誰かが、人気のない馬にかける。
すると、あまり競馬に知識のない人たちはこの馬にも賭けだす。
すると、知識がある人たちは、”この馬にはなにかある”と思い込み、
そこに賭ける。
後は雪だるま式に膨れ上がる。
そのレースには、人気の馬が2頭生まれる。
しかし結果、最初の不人気の馬はビリになる。
競馬に来ている人の大多数は競馬に対してそれほど知識がない。
契約書の話も同じで、
企業がそうだと言えば、その可能性が高いと思い込む。
人は頭をなるべく使いたくないという性質もあります。
考えることを拒否する、考えたくないのです。
その結果、大多数の人は法律、契約に詳しくないし、調べたくもないから
まんまとだまされるわけです。
答えは、どんな理由があれ、その契約を交わし、企業内で関わっている以上、
誰かが何か問題を起こした場合、その企業も責任を負わなくてはいけません。
つまりこれは企業側がそんな問題を起こしてほしくないための
言葉上の布石でしかありません。
物事の本質を見極めるのは資質もありますが、
それなりの訓練、経験、学び、努力でも培えます。
やはり、”みんながいるから” ”みんながやっているから”
というのはとても安易で、簡単で、頭を使わない、知性が低く、楽な方法です。
もし、自分の思うような生き方をしたいなら、
それなりの努力が必要です。
逆に言えば、それをすれば、人生は自分の思うようになんとでもなるということです。