J_Uの日記

芸術とその価値観などについてです。

他の誰かを目指して

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おはようございます。

こんにちは。

こんばんは。

J.U.です。

 

前述では僕がアメリカで師にいろいろ教わった話をしましたが、日本に帰ってきたのもつい最近です。

3年前ですが、5年、10年なんてあっという間です。

 

師との生活がとても濃かったので脳と体に染みついています。

 

 

これまでの日本で受けてきた教育、日本で皆が俗にいう”大人”という人たちに言われた言葉などほぼ全てムダでした。

それまでの自分を捨てて、空っぽにした状態で、師に再教育を叩き込まれました。

 

これに関して言うと長くなるし、1年、2年じゃ語り尽くせません。

ので、その中の1つに絞って今回はお話したいと思います。

 

 

音楽をやっていてよく耳にするのが、”個性”という単語。

TV、Radio、それに影響された周りの”大人”がそれを真似してよく言います。

 

 

「個性があるよねー。(もしくは”ないよねー”)」

「独特の世界観があるよねー。」

「個性が大事。」

 

 

この”個性”というものに対して僕らは認識がなかったのです。

 

結論から言えば、

 

”個性”のない人間はいません。

 

100%断言できます。

なぜなら100%、DNA、細胞、そこからなる目、耳、鼻、口など、体の1部1部、誰1人として同じ人間はいないからです。

 

 

人はみな、生まれたその時から”個性”を持っているのです。

 

ミュージシャン、俳優、声優、などアーティストがオーディションに行って、

その審査員に

 

「個性がない」

 

と一蹴されたという話をよく耳にします。

 

これに関しては完全に審査員の認識の欠如、言葉の選択違いが伺われます。

言いたいことはこうでしょう。

 

「他と比べて、ずば抜けているところが見当たらない。」

とか、

「自分にビビっとくるものがなかった。」

とか。

 

 

その人の細胞1つ1つ違うのですから、

その人の発する声、

五感で感じるもの、

行動など

 

その人、1人1人全てに”個性”もしくは”世界観”があるのは当たり前なんです。

 

ただそれが他の人の心を動かしたり、影響を与えるかはまた別の話で、審査員はそれを言いたかったんでしょう。

 

音楽をやっていると、有名なミュージシャンをモデルにして、

”あの人みたいになりたい”

とか、

”あの人のような曲を演奏したい、作りたい”

などよく言います。

音楽だけではなく、すべての分野でそれはあるでしょう。

 

これは100%無理です。

なぜならDNA、細胞が違うからです。

 

モーツァルトをものすごい好きで、真似て、毎日モーツァルトのようになりたいと願い、練習しているクラシックミュージシャンがいたとします。

 

もしそこにモーツァルトがいたとすれば、こう言うでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「その曲古くない?

もう新しいことやってるんだけど…。」

 

 

 

推論です 笑

 

つまりどんなに人を真似ても、その人にはなれない。

お金は作ろうと思えばいくらでも作れるが、人に与えられた”時間”には限りがあります。

100%できないことにその人生、貴重な時間を注ぐのはとてもムダだと思います。

 

それよりも自分が何を持っているか。

得意なところ、苦手なところ。

強み、弱み。

小さい頃から培われてきたものを”知る”。

 

そしてその”個性”を伸ばすことが大事です。

そこに全エネルギーを使うべきです。

 

それは誰にも真似できない、あなただけのものです。

 

もうすでに持ってますからね。

 

 

なんかうさんくさい宗教っぽく聞こえるかもしれませんが 笑

(余談ですが、アインシュタインは「宗教なき科学は無能である」
と言っています。)

 

これは科学的事実に基づいた”現実”です。

 

 

僕はこれらを師に教わったとき、体が楽になりました。

 

今まで、だれかをモデルにして、誰かみたいに生きなきゃとか、あんな人の演奏をしたいとか思っていました。

 

ガキのころから親、周りの”大人”という人に、他人と自分を比べられること。

 

そんなありとあらゆるものから解放されました。

 

 

最近では日本でも”個性”が大事とか言い始めましたが、結局のところ

 

裏では

 

「あいつ変わってない?」

 

とか

 

「あいつ変だよ。関わんないとこー。(ねぇ、僕、私と同意見だよね?)

 

みたいなことを言っています。

 

それが過剰に悪化したものが”いじめ”です。

 

みんな一緒じゃなきゃ嫌なんです。

 

不安なんです。

 

 

いろんな災害、戦争でたくさんの人を亡くしたと聞きますが、

 

実は年間の日本の”自殺者”がそれよりも多いという話を聞きました。

 

海外では”いじめ”はありますが、

 

”全員が一緒に”

 

というのはありません。

 

「それはあなたの意見でしょ?

わたしは違うよ。」

 

というのが当たり前です。

 

 

日本は鎖国していた歴史がありますし、もともと井の中にいたい蛙のままなのですね。

 

 

 

長くなりましたが、みなさんもこれからは”誰かみたいに”じゃなく、

そのままの、自然のあなたを出してみてはどうでしょう?

 

はっきり言ってそこからが難しいです。

 

それはまたの機会に。

 

それではまたお会いしましょう。