子どもに英才教育をする意味って、ありますか?
よく小さい頃から母国語以外の語学を習わせたり、
芸術だったり、スポーツだったり、
塾に行かせたり、習い事を多数やらせたり。
幼稚園の頃から受験をやらせたりする親がいるそうで。
子どもに対する教育とは様々なことが、あらゆる学問から研究されていますが、
僕はこのいわゆる 英才教育 というものに多大なる疑問を抱いています。
まず1つ、
ペンシルヴェニア大学、組織心理学教授 アダム・グラントによれば、
子どもの頃から ”天才” ”神童” と呼ばれる人は
例えば、2歳で字が読めるようになり、
4歳でバックを弾き、
6歳で微分積をゆうにこなし、
8歳までに7か国語を流ちょうに話せるようになる。
しかし、このいわゆる”神童”たちが世界を変えるようなことをするのは
まれである。
こういう才能にあふれた人は、モーツァルトや、ベートーベンを奏でるようになっても、
自分で作曲をすることはしない。(してもパッとしない)
既存の科学的知識を吸収することに労力を注ぐが、
新しい知識を提供することはしない。
独自のルール、ゲームを考え出すのではなく、
既存のゲームで、体系化されたルールに従っているだけ。
医者にはなるが、
医療を受ける経済的余地のない患者を生む、医療システムの不備を正すべく、戦うことはしない。
弁護士にはなるが、法律そのものを変えることはしない。
代数の教師にはなるが、”生徒が学ぶべきなのは、そもそも代数なのか?”
という疑問をもつことはない。
大人になって、世界に革命、革新、オリジナルを生み出し、0を1にすることをするのは、こういった子供の頃に英才教育をうけた者たちではなく、
むしろ、子供の頃、
周りに同調せず、うとまれ、変な子と言われ、嫌われていた子
というのが、特徴である。
2つ、スタンフォード大学、心理学教授 キャロル S ドゥエッグによると、
こういった英才教育を子供のころから受けている子供たちは、
最初から、硬直マインドセットをされていると言ってよい。
学問や、スポーツなどでよい成績を取ることが、彼らの目的であり、
自らの人間性、創造性、学びなどを培うということには興味がなく、
新しいものを生み出そうということはない。
ただ、社会が、他人が生み出したレールの上をなぞって生きているにしかすぎない。
そして、こういう子たちは、何より失敗を恐れる。
成功するということにしがみつき、簡単なことしかせず、
できそうもない、難しいことにチャレンジしない。
自分のできる範囲内のことで、人に評価されることを望む。
彼らにとって成功とは、人にすごい、頭がいい、優れている などと
人に称賛されることのみで、
自らが、何か新しいことを学び、成長し、作り上げ、
革新を起こしたり、独自のものを作り上げることは失敗だと思っている。
どちらを選ぶかは親の教育の仕方でおおよそ偏ることになるだろう。
僕が言えるのは、もはや2019年、世界的にAIが発達し、
将来、既存のやり方が通用しなくなる時代。
(以下の記事を参考にどうぞ。)
果たして、英才教育?
これを未だにやってる人って、何を考えているんでしょうか?